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質問A>
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回答A | ||||||||||||||||||||||||||||||||
上の画像のテーマは「宝を生み出す仲間たち」で、昔話に出てくる宝ものと関係ある存在を選んで描いています。その中で今回登場してきた銅鏡という宝は違う意味のあるものです。鉱物の価値としては金銀銅という順番からして低いものです。特に、宝物(ほうもつ)呼ばれる三種の神器は、他の骨董品や通常の美術品、または希少価値を持つ金銀財宝の宝石類などとは、まったく異なる意味と価値を持つものです。高価なものを所有することによる優越感や独占欲を満足させる富の象徴として他人に誇示するものとは全く違います。諸外国の国土や宗教の教主が宝石を散りばめたきらびやかな王冠をかぶることに象徴される、民衆を支配し君臨するために使われる道具とも異なります。 その真理は全ての人の心に共鳴する美しさを持つもので、それが最初に作られた本物でも、複製品であっても、見た人が美しさと調和の素晴らしさを感じ取れればどちらでも良いのです。 その原理・法則の美しさで人に感動を与えるものならば、レプリカでも全く同じ価値を持つものなのです。そこでは偽物説も本物説も全く意味を持ちません。 この三種の神器は、明らかに西洋文明の価値観に基づく骨董品や宝石類とはまったく違う価値を持つ普遍の法則を表すものです。その普遍の価値は、いつの時代でも変わらずに、三種の神器が示す美しさと共鳴する全ての生物が持っている基本構造に対して働きかける力です。 古代の日本人は形のない概念である思想や原理、法則や道などを目で見え、手にとって確かめることができるように物質を通して形として表す習慣があり、それらのものは「ものざね」呼ばれてきました。その習慣は形のない日本語の言葉一つ一つを神々として祭り敬ったことにも表されています。「見えない言葉一つ一つが物質としての元素一つ一つと対応していたからです。言葉や思想・原理もある形を持つ物で表すことができるという考え方が自然に生まれてきたのです。 この古代の基本的な考えに従うことから、三種の神器の真の意味を考えることができます(イメージトレーニングの時間) 古代の日本人が、末永く伝え守っていかねばいけないと考えていたのは、「ものざね」である三種の神器そのものではなく、その三つの「ものざね」にこめられた原理や道なのです。その道は「あめなるみち」(天成る道)です。この三種の神器にこめられた原理や思想こそが、私達日本人が末永く受け継ぎ大切にしなければならないものです。この「ものざね」により、原理や思想を表すことと類似した方法は、時代の常識を覆し新しい時代をそこから作っていくような大発見があった場合に、古い常識に凝り固まった人々の意識を変えるために使われてきました。日本の言葉の「たから」の意味は、「た」はたくさんを、「か」は光を表し、「ら」は日本の固有の文字「おしで」の意味と形から「光が放たれること」を表しています。
それは我々の生命環境を破壊しつつある「石油文明」に代わって、美しい調和のある社会をつくっていくことになる「太陽文明」を示すものです。 やたのかがみ 「この鏡は、全宇宙の構成要素をつなぎ合わせて作られている」と書かれています。原子は、八つの電子が周りを取り囲むときに一番安定した形になることからも、原子の持つ法則性が非常に重要であること、つまりこの鏡の最初の文字に(八)をつけた「や」の意味がわかります。
と書かれていることから、原子の性質や構造について述べていると言えます。三つの光ともいえる電子、中性子、陽子のが円軌道の中で助け合い、それぞれの位置と役割果たし調和することにより条件が満たされ(足り)て成り立つ、原子の構造についての現代科学が解明した事実と同じことが書かれていて、原子の重要な法則について最も適切な表現で書かれていることが判ります。 以上のように、この鏡は宇宙の原理や、宇宙全体や私達人間を形作る原子の持つ「やのきまり」が最も大切なものであることを教え、その原理をもとに民をまとめていくことの大切さを示しています。 宇宙や人間・生命などのありのままの姿を映し出す鏡であり、その名のとおり神の器、最も大切な人類の宝と呼べるものです。その不変の価値は、これからも変わりありません。 |
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chuqf |
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