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はじめに・・・ |
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「光の道を備えよ!」
この言葉は、ある二つの家系の三代にわたる家訓であった。
その家訓は、「今井家と田口家」の三世代を越えて、それぞれの立場で、生涯をかけて戦い抜き、また死守すべき課題であった。
今井家の次男(信)は、小さい頃から祖母のゼンが生前言い残した「不思議な言葉と死の様相」を回想しながら、その遺言のような言動の意味を訊ね求め、幼い頃の記憶を辿りながら回想文を書いていくうちに、しだいに「今井家の謎」と「課題」が見えてくるようになった。
信は、そのころ、母のチカの導きにより、一人暮らしを続ける(田口家の長老である)シマ伯母さんに出逢った。そのシマも又、その時から、過去を回想しながら二冊の自叙伝を書くようになった。そして、それが書き上がった時、再び不思議な導きにより、信はシマに出逢うことになった。そのシマが書いた、「田口家の過去」を知った時、信は、自分の体験が、田口家の辿って来た運命と奇妙に一致することに気がついた。
これはそのシマの自叙伝をもとに導き出した「二つの家系のテーマ」である。
あらすじ
主人公の少女「シマ」は、田口甚七の長女として生まれたが、何故か甚七の子供ではなく、妹として籍に入れられた。シマは、祖母夫婦の(中島三臓、カタ)の子として、甚七と兄妹の立場で籍に入れられてしまったのだ。これはシマが、甚七と共に立てるべきであった「ある使命」と、その後の「立て直し」の全生涯を暗示していた。
菓子職人となった父の甚七は、シマが六歳になった時、突然目が破裂して、失明し入院してしまった。残された家族はたちまち窮地に陥り、身重もの母ハシは、シマたち二人の子供を連れて、実家の兄のもとに帰った。だが、居候の身の辛さについ耐えきれず、ある日留守中にそっと抜け出してしまう。
途中、生きる希望を失った母は、絶望感の末、堤で心中しようとするが、泣き叫ぶシマによってかろうじて思いとどまった。
やがて、シマとハシは、伯母のもとに行き、母は無事男児を出産した。だが、その子が亡くなることで、失明した父が気落ちした母を心配して帰って来た。
そして、その地をみんなで離れる時、シマはひとり残って「優しい伯母」に引き取られ、いつまでも幸せに暮らしていくかに見えたのだった。だが、その伯母は突然病死してしまう。シマは幼少の頃から、兄弟姉妹たちと離れ、たった一人で孤独の宿命を先駆けて通過していたのだった。
シマは、死んだ伯母から受けた「愛情と恩」を心の支えにして、五年ぶりに養子先から戻り、弟たちと再会した。
血縁的には「姉の立場」だったが、戸籍では「伯母の立場」、そして経済的、心情的にも「父母の身代わりの立場」となって、その後に起こるあらゆる苦難を耐え抜いて、田口家の全員を見守り支えていかなければならなかった。
光を無くした父を支えながら、「荒野」のようなを道を彷徨い、「苦労と孤独の宿命」を背負わされたシマであった。 失明した父の代わりに、幼い弟や妹たちをかかえ、苦労している母を支えるために、再び家を出て、離れた所で、「子守奉公」や「住み込み女工」を何年も勤めて帰って来た。
しばらくするとシマはまた、家族のために再び家を出て働きに出る。各地を転々と彷徨いながら「住み込みの女中奉公」を繰り返していたが、やがて妹チカ(信の母)の運命を決める「博多」の地にやって来るようになった。
シマは、女中奉公している時に、一人の青年と道ならぬ関係になり、その結果、ひとりの嬰児を産んだ。その子は、田口家に光を灯す筈の、大切な「光について証をする子」だったが、甚七とシマは、それに気がつかずに見知らぬ夫婦に預けてしまう。そして、シマは、父に勧められるままに、過去の過ちを隠して、女としての幸せな人生を選んでいったかに見えた。だが、その子供を引き取っていった夫婦から、「子供は、死んでしまった」と知らせが入る。
その後、シマは、山下家に嫁いで子供を産むが、何故か天罰が襲うように、夫や子供達は次々と病死していく。未亡人となったシマは、その後、自分が過去に「犯した罪」の大きさを次第に感じていく。
(私は、自分の犯した罪を生涯かけて、償いをする道を歩まされているのではないだろうか?) シマは、それから、生涯、再婚もせず、未亡人を通す決意をしていった。
女手ひとつで、ふりかかる様々な問題にぶつかりながらも乗り越えていった。
それは、シマの使命を引き継いだ、妹のチカに「失敗と教訓」とを先駆けて体験して見せ、そして、絶対に失敗しないで、完全に実を結ぶ「強く、逞しい鉄の女」としての道を見本として見せて示していたのだった。
長い年月が流れて、ようやくシマが齢八十四才を迎えた年、これまで辿ってきた苦難だらけの生涯の中に、隠されていた「人生の真の意味」が突然見え始めた。それは、はるか天地創造以前から、「田口家」に定められていた「宿命の道」であった。
そして、その苦労の道から、ようやく抜け出した果ては、亡くした田口家の「光」を取り戻す、最後の段階を迎えていた。
そしてその光は、妹チカが嫁いだ先、糸島の地から現われようとしていた。
振り返れば、妹チカがその「光の基台」を築くために、背負わされた苦難と試練を乗り越えさせるために、シマは(姉、伯母、父、母)という「四つの立場」で、チカを励まし、力添えをしながら支えていたのだった。
いつの間にか気がつくと、シマは、かつて幼い頃の自分と母を助けてくれた「伯母の立場」に立っていた。この親子二代に渡る「二人の姉妹」が力を合わせ、戦って築いて来た「真理の光の基台」は、やがて終わりの日に、田口家の全ての謎を解く人物が目覚めて現われた時、ついに有終の美を飾り、豊かに実を結ぶようになる。
シマの生い立ち
昔、山村の貧しい農家に「田口甚七」という青年がいた。
甚七がまだ十七才の時、突然父親が病にかかり死んでしまった。長男だった甚七は、下の弟や妹たち三人を食べさせるために、伊万里町のとあるお店に奉公に出て働くようになった。
そして、甚七は、そこに女中奉公で働いていた「緒方ハシ」という娘と知り合うようになった。ハシも小さい頃に父親を亡くし、六人兄弟姉妹だった。お互いの家庭環境が良く似ていたせいか、お互いに心が通い合う様になり、次第に愛し合うようになった。
その時、二人の間に出来た子が「シマ」という女の子である。
この世に誕生したその日から、シマの運命は波乱に満ちた人生が始まった。
シマが生まれた時、甚七もハシも二人とも、まだ二十歳の若さであった。二十歳で父親となった甚七は、まだ若過ぎて手に職もなく、妻子を養う力が無かった。
そこで、その時生まれた娘のシマの出生届けは、「甚七とハシ」という父母の籍ではなく、「祖母夫妻」の籍に入籍することになったのだ。田口シマでは無く、中島シマになった。つまりシマは、「実の父」の甚七に対して「妹」として記録され、本来「父と娘」という親子でありながら、「兄と妹」という兄妹の関係になってしまった。そして、本来、「シマ」と、やがて生まれて来る妹の「チカ」たちとは姉妹の関係である筈が、お互いに「叔母と姪」という不思議な関係になってしまう。
だが、このことはやがて、ある「天の計画」を果たしていく為に、仕掛けられたものだったことが次第に判るようになる。シマ自身が今まで不思議に思ってきた「隠された謎と意味」が次第に解かれて行く。この出生記録は、やがてシマが結婚して、山下家に嫁いでも、戸籍上では、田口甚七の子ではなく妹として、子々孫々まで残ることになる。
菓子職人甚七
父の甚七は(何か商売をしたい!)と思い立ち、菓子作り職人の見習いとして入り、一生懸命に修行に励んだ。やがて五年間の修行期間が終わり、甚七は一人前の菓子職人となった。そして、小さいながらも独立して、晴れて念願の「自分の店」を持つようになった。しばらくは商売も順調にいっていたが、その幸せも二番目の子である初次が生まれてくるまでであった。
失った家の光
初次が生まれてから間もなく、ある日、いつものように仕事していた時、甚七は急に目が痛み出した。(おかしいな・・・?)と思いながら、その夜は枕に就いたが、たった一晩で、みるみるうちに目が大きく腫れあがった。そして、黒い瞳の部分が「パチン!」と弾けるように破れた。父、甚七は両目が突然見えなくなってしまった。
この時、父は二十七才。父は、眼科の専門病院に緊急入院して、すぐ手術を受けたが、既に何もかも手遅れだった。その後、長い病院での闘病生活が、一年半程続くことになるが、視力は一向に回復しなかった。
残された母と娘
母ハシは、その時、既に三人目の子を宿していた。日に日にお腹が大きくなっていた。 父が入院した後、母は、仕方なく一人でお菓子を作っていたが、身重の体で家族を支えるのは困難だった。仕事も思ったようにいかず、たちまち窮地に陥っていった。
次第に明日食うお金にも事欠く様になり、どうすることも出来なくなってしまった。
母はついに、自分の生活力の限界を感じ、兄のいる実家にひとまず帰ることにした。母は(実家の兄だけが唯一の頼りだ・・・)と思っていた。
居候の悲しさ
母ハシが子供の頃過ごした「緒方家」の実家は、山の上の方にあった。緒方家の長男である兄の八五郎(やごろう)には、既にお嫁さんが来ていたが、まだ子供が無く、貧しいながらも夫婦二人だけで「甘い蜜月時代」を、気ままに暮らしていた。
そこへ突然、嫁いで出ていったはずの妹のハシが、子供を二人も連れて、お腹を少し膨らませて帰って来たのだ。八五郎は、自分の身内である「血を分けた妹」が、夫の突然の病気で、生活に困って帰って来たのだから、むげに「嫌だ」と断ることも出来ず、一応受け入れてくれた。
だが、この時代は戦時中で、どこの家も貧しく、細々と暮らしていた。そんな所に、身重になった妹と聞き分けのない二人の子供たちが、急に家に入って来たのだ。
ハシとシマたちは、これまでの兄夫婦の二人だけの、気ままな生活を打ち壊し、かき乱してしまったというのだろうか?。八五郎夫妻は、始めは優しく接してくれたが、日にちが経つごとに、だんだんと迷惑そうな顔になり、冷たくなっていった。「賑やかになった」という気持ちよりも、「騒がしくなった」という気持ちの方が強くなり、だんだん疎ましくなり、苛立ちが大きくなっていったのだった。
二才の初次がむずかって夜泣きをすると、隣の部屋に寝ていた八五郎は、「うるさいぞ!」「夜中に泣かせるな!」と常日ごろの、イライラの気持ちをぶつける様に怒鳴った。
母ハシは、自分の生まれ育った実家に帰って来たのに、既にそこにはハシを可愛がってくれた父も母も他界し、見知らぬ嫁が来ていて、安住の地ではなくなってしまっていた。 母ハシは次第に遠慮しがちになり、八五郎と嫁の顔色の様子を伺いながら、いつも申し訳なさそうに、うつむきぎみに暮らしていたが、だんだんと卑屈になっていった。
シマはそんな母の姿を子供心に見ていた。
間夜中に、初次が少しでもむずがると、母はどんなに疲れていてもすぐ起き上がり、初次の口を塞ぐように抱いて、静かにそっと外に出た。初次が泣き止むまで、夜風の吹く暗い山道の中をいつまでも彷徨い歩いていた。
シマは、そんな悲しげな母の姿を、暗い部屋の中で心配そうに見ていた。
母は、まだ若過ぎたのか、自分一人だけでは、子供たちを養って生きていくすべも知らず、又、生活力も無かった。世間知らずで気が弱い母は、兄の八五郎に頼る以外、どうすることも出来なかった。どんなに辛く当たられても(今は我慢するしか無 い・・・)と涙ぐんで静かに耐えていた。
叔父の折檻
ある寒い冬の夕暮れ時、油断してたのか、ランプを灯す灯油が切れて無くなってしまった。叔父の八五郎は、「おい!おシマ、灯油を買って来い!」と突然言い出した。
叔父の家は山の奥にあり、灯油を売っている店は、ここから山越えして盆地の小さな村まで、歩いて行かなければならなかった。シマは、薄暗くなった山道をこれから一人で越えていくことが怖くてたまらなかった。
当時、まだ六才だった少女が一人で行くには、あまりにも危険な長く遠い道だった。シマは「寒いよー、行きたくないよー」と返事をした。
その瞬間、八五郎の顔色がたちまち鬼のように怖い顔に変った。「何を!このガキ!居候のぶんざいで…」いきなりシマの襟首を掴んだかと思うと、雪の積もっている外へ乱暴に放り出した。「買いに行って来い!、行ってこんか!」「いや!いや!行かん!」
言うことを聞かないシマに、ますます腹が立ったのか、伯父はむきになって、どうしても従わせようとした。その時、スッと八五郎の中に悪魔の心が入った。力いっぱい拳を振り上げ、か弱いシマの体を何度も叩いたり、足で蹴ったりし続けた。
母はとっさに飛び出して伯父を止めようとしたが、突然、金縛りに合ったように急に立ちすくんで止まった。母には、折檻を受けるわが子のシマをかばうことも出来ず、離れたところからシマの殴られる姿を、涙をこらえてじっーと見ているだけだった。
シマは(母がすぐ助けてくれる・・・)と思ったのに、止めさせることも出来ず、何も言えない母の姿を見て悲しく思った。だが、シマは、母の弱い立場をすぐに理解して悟っていた。
平安への脱出
冬の間、このような辛い思いをすることが度々あった。それでも、寒い冬の季節では、どんな苦しい目に逢っても、家の中に居て雨つゆを避け、凍えずに居られることが何よりも有り難かった。それに、自分の生まれ育った故郷でもあるのだ。
ようやく年が明けて、春が来ようとしている雪解けの頃、母は思い詰めたような顔をしてシマの顔を時々見ていたが、ポツリと話しかけて来た。
「おシマ・・・」「なあに?」「もう、この家を出ようか?おシマ、いつまでもこんなところにいると、殺されてしまうよ」「お母ちゃん、うちもこんな家早く出たい!」「そう、じゃ出ようね」「でも、何処にいくの?」「もう一人の叔母さんの所に行こうか!ちょっと遠いけど、お前歩いて行けるかい?」「うん!」
シマは、この家を出ていくことに決まったことが嬉しかった。
二人でそう決めると、先のことは考えずに自由への旅立ちの期待に、胸をワクワクさせて準備した。
ある日、シマと母ハシは、八五郎夫妻が畑に行った留守の間に、急いで幾つかの荷物をまとめ、静
かに気づかれないように、そっと家を出ていった。
絶望の湖
ハシたちは、まだ雪が残っている山道を降りて、しばらく黙々と歩いていった。
途中に水を貯めた堤があった。母は、お腹が少し大きいのに、二才の初次を背負い、両手に荷物を抱えて歩いた。母は疲れやすく、少し立ち止まっては、ため息をついていた。
「おシマ、きつうなかか?、ここで、ちょっと休もうか?」と言うと、崩れるように草の上に腰を降ろした。しばらく放心したように堤の水面を見ていたが、母の体は、そのまま固まったように動かなくなった。母の横顔は、苦しそうに見えた。何かを思い詰めるように考えている。
母のハシは、生きることにすっかり疲れきってしまっていた。
つい耐えられなくなって、先のこともよく考えないで飛び出して来たが、これから行く姉のサキの家も、やはり子供が無く、夫婦二人で暮らしていたことを思い出していた。
(最初は、同情して受け入れてくれても、日にちが経つと、どんなに血がつながった姉妹でも、結局、兄夫婦のように、同じ様に私たちを煙たがるようになるのかも知れない・・・)ハシの頭の中にはこんな悪い想像しか思いが浮かんで来なかった。ハシたちを待ち受ける、これから先の不安と絶望がただただ大きくなるばかりであった。
(いくら待っても、夫の甚七の目は、もはや治る見込みは無いのだ・・・)(いつまで、私は待てばいいのだろうか?)安心して住める家は、どこにも無くなってしまったのだ。
いくら考えても、明るい未来が見えて来なかった。ここに来て、残されていたわずかな希望の光も、完全に消えてしまった。
湖の濃い水の色を見つめるうちに、母のハシには、この湖は、自分たち親子が死ぬために、そこに横たわって現われたように見えていた。
シマは、母がいつまでも黙っているので心配になった。「どうしたの?お母ちゃん」と呼んでみたが無反応だった。そのシマの声は母の耳には全く聞こえていなかった。
絶望のどん底に落とされた悲しみのあまり、視界も聴覚も狭くなり、冷たい湖の中に吸い込まれるように一点を見つめていた。
「お母ちゃん?」(・・・)「お母ちゃん!」シマは大声で呼んだ。「おシマ・・」母は、心配そうにのぞくシマの顔を無表情のままやっと見た。そして、ためらいながら、ポツリと力無く話し出した。「おシマ、お父ちゃんの目は、もう直らないかも知れないよ・・」「・・・」「安心して住める家も、もう無くなってしまった」「・・・」「おシマ、お母ちゃんと、ここで一緒に死のうか?」
シマは、母の思い詰めた顔の意味がやっと判ったが、「死ぬ」ということが、どうすることなのか咄嗟に判らなかった。だが、水面を見つめる母の目線に気がついた時、「水の中に落ちて溺れる姿」が頭の中によぎった。
「怖い!、いや!、いや!」(・・・)「死にたくない!」シマは急に恐ろしくなって、激しく泣き出した。母は、もう死ぬしか道は残されてないのだと思い込み、とりつかれたように放心状態になっていたが、けたたましく天地が張り裂けそうな大きな声で、激しく泣き叫ぶシマの声に気が付いた。
驚いた母は、突然、我に返った。(必死に生きようとする子供の命を、親が勝手に奪う権利はないのだ・・・)と思った。ましてや、物心がつき始めていたシマの意志を無視して、無理心中する事は許されなかった。
「おシマ、ごめんよ!、ごめんよ!、弱い母ちゃんを許しておくれ」母は泣きながらしっかりとシマを抱いた。二人はしばらく抱き合ったまま激しく泣き続けた。
この時の母ハシの気持ちは、どんなに辛く、悲しい思いだったろうか?。もうはるかに遠い昔のことになってしまったが、お婆さんになったシマの心に、この時の母の姿が、年を重ねるに連れ、鮮明に甦ってくるのだった。
もう、すっかり日が落ちようとしていた。母は思い直したように、急に立ち上がった。「おシマ、もう日が暮れる。早く、叔母さんのところに行こう!歩けるか?」
「うん!」 シマは、母の顔を見上げた。沈む夕日を見上げる母の顔は、絶望から完全に抜け出せないままに、どこか頼りなげに宙を彷徨っているかに見えた。
シマは、母の手を取ってしっかり握りしめると、二度と母を湖に近づけないように、強く引っ張って歩いていた。
サキ伯母さんの心
死の誘惑から逃れて、母ハシとシマたちは、杵島郡元部にある、姉の古賀家の家に着いた。 長女であったサキ伯母さんは、妹のハシが久しぶりに子供たちを連れて訪ねて来てくれたことに、心から喜んで迎えてくれた。
ハシは、先の家で辛い目に逢っていたので、優しい姉に迎えられて、救われる思いがしていた。「亭主が突然の目の病気で入院し、生活に困ってしまったの」とハシは話していた。しばらくして、やっと落ち着いて来たのか、実家の兄の所であったことを、少しずつ伯母に話していた。
姉サキは、しばらく黙って聞いていたが、涙を潤ませながら「可哀相に、そんな辛い思いをしてやって来たんだね」(・・・)「何故、始めから姉の私を頼って来なかったの?」「姉さん・・・」「もっと早く、家にくればそんな辛い思いをしなくて良かったのに」と何度も言ってくれていた。「ハシ、お前は、もう何も心配しないでいいからね。ここで出産して、元気になるまでゆっくり安心していなさい」と言ってくれた。
やがて、臨月が来て次男が生まれた。元部で生まれたので、母はその子を「元次」と名付けた。ハシはこころ優しい姉の傍で暮らすうちにやっと心の傷も癒され、産後の体も順調に回復して、次第に元気を回復していった。だが、そうそういつまでも姉に甘えて、お世話になる訳にもいかなかった。
土葬用の瓶(かめ)
元次を産んで身軽になったハシは、村を歩きまわって仕事を探し始めた。
だが、こんな田舎では、子連れのハシの出来る仕事などそう簡単には見つからなかった。 しばらくすると、やっと土葬用の大きな瓶を作る工場で働くことに決めて帰って来た。住み込みで土をこねる仕事だった。ハシが出来る仕事は、他にもあったのだろうが、住み込みで雇ってくれるような処は、そう見つからなかった。それにしても瓶にも色々あるが、土葬用の瓶の土をこねる仕事とは、なんと不吉な仕事であろうか。
姉のサキは、(他にもっといい仕事がなかったのだろうか・・・)と思った。だが、妹のハシは、もう決めてしまっていた。「明日から、住み込みで働くことにしたわ」
「もっとゆっくりしてていいのに」と言う姉サキに、「もうすっかり元気になったから、これ以上、ゆっくりしてたら、体が鈍ってしまうわ」「・・・」「お姉さん、長い間、ほんとにすっかりお世話になって、ありがとうごさいました」と頭を深々と下げてお礼を言った。ハシは、いくら姉さんに優しくされても、いつまでも甘えてはいけないことを既に悟っていた。狭くてもいいから誰の気兼ねもしないで暮らせる場所が欲しかったのだった。
母ハシとシマたちは、わずかな荷物を持って、雇い主の貸してくれるという小さい小屋に移った。 一間だけの狭い小屋に畳を敷いて、そこで、母と子供たちの四人の生活が始まった。
誰の気兼ねもなく、家族だけで過ごせることになった。その時、シマ六才、初次二才だった。母は、仕事場の片隅に、むしろを敷いて子供たちを座らせた。
シマは、小さな初次と生まれたばかりの元次の二人の子守りをしながら遊んでいた。母は、その傍で子供たち三人の様子を時々見ながら、土葬用の瓶の土をこねる、めっぽう力のいる仕事を、大粒の汗を流しながら、死にもの狂いになって働いていた。
入学通知のゆくえ
年が明けて、梅の花が咲く三月になった。ある日、母のハシが汗をかきながら、いつものように働いていると、突然、郵便物が来た。シマの小学校入学の通知だった。母ハシは、その通知を見ると、頭を抱えて考え込んでしまった。
シマが居て子守りをしてくれることで、仕事に身を入れて働くことが出来たのに、シマが学校に行ってしまうと、下の初次や元次の子守をする者がいなくなる。そうなると、ハシは、途端に子供に手をとられ、仕事が出来なくなってしまうのだ。
今でも、丸一日、目いっぱい働いても、わずかな収入にしかならなかった。これ以上、少なくなれば、その日の食事するお金にも、たちまち困ってしまうのだった。
ハシはいろいろと考えた末、シマには悪いと思ったが、役場に行って苦しい家庭の事情を話した。そして、シマの入学を一年遅れにして貰って帰って来た。シマは、何も知らず、毎日子守りの仕事をしていた。
やがて、桜が咲く四月になって、親しくなった近所の子供たちが、楽しげに学校に行く後ろ姿を、窓から見て暮らした。シマは、自分だけが取り残され、置き去りにされていく寂しい気持ちになっていった。だが、母の苦しい事情を察したシマは、何も言わず、母の働く小屋の廻りを歩きながら、黙々と子守りばかり続けていた。シマは心の中で(私も学校に行きたい・・・)と何回もつぶやいては、いつも母に隠れて泣いて過ごした。シマは皆が普通にやることをやれなかった。
シマの予感
時々、サキ伯母さんが(その後、どうしてるのか?)と心配して、シマたちの様子を見に来てくれていた。毎日、いくら休まずに働いてると言っても、所詮、か細い女手でやる仕事は、たかが知れていた。一向に貧しい食生活が続いているのを見かねたのか、サキ伯母さんは、来る度に、米や味噌、醤油や野菜などを「ちょっと余ったからね」と言って、少しずつ持って来てくれていた。
シマは幼な心ながら、いつも困った時、何かと助けてくれるこの「サキ伯母さん」が、いつかきっと自分の願いを叶え、守ってくれる予感がしていた。それは「こども心」の中では、限りない慈悲を持って包みこんでくれる「観音様」のようなイメージを描いていた。
帰って来た父
ある日、まだ生まれて間もなかった元次が、風邪を引いてこじらせてしまった。
医者に診て貰う金も、薬を買うお金も無く、たちまち悪化して死んでしまった。
母ハシは、わが子の命を守れなかったのが余程、ショックだったのか、自分を責めるように言葉少なくなり、暗く自信を無くしていった。
母は、夜、ランプを灯した机の上で、今も入院している父に手紙を書いていた。
「今まで、何とか頑張って来ましたが、三番目めの子供の元次を死なせてしまいました。申し訳ありません。もう、私はやっていける自信がなくなりました」という悲しい内容の手紙を書いて送った。
しばらくして手紙を受け取った父の甚七が、病院を途中で退院して尋ねて来た。父の甚七は、一年半という長い間、入院していたが、治療の甲斐も無く、視力はほとんど回復してはいなかった。
右目は全く見えなくなり、左目だけが、わずかにぼんやりと見える状態だった。シマは目の見えない父でも、母や自分たちのことを心配して、帰って来てくれた父の姿を見て本当に嬉しかった。
サキ伯母さんの子
父甚七は、しばらくシマたちと一緒に暮らしていたが、ハシの仕事は、目の悪い父が手伝えるような仕事ではなかった。かといって田舎の山奥では、いくら望んでも、目の不自由な父が出来る仕事など、そう見つかるものでも無かった。
ある日、父は「ここでは仕事が無いから、伊万里の方に行って、何か商売をしよう」とハシに言った。こうして、シマたち親子は、サキ伯母さんたちがいる土地を離れることに決まった。
サキ伯母さんは、シマたちが離れて行く話を聞いて、実に残念がり、みんな居なくなることにたまらなく淋しくなった。妹の家族が何とかして近くに住めるように色々と心を砕いてみたが、甚七が出来るような仕事のあてなど、早々見つからなかった。
何とか思い止めようと引き留めたが、父甚七の気持ちは変らなかった。
ある日、サキ伯母さんは、夫の古賀伊次郎と夫婦二人でやって来た。
「うちには子供がいないから、おシマをぜひ養子に貰えないだろうか?」と相談して来た。ハシは、今まで、姉に何かと随分世話になってきたし、色々とシマたちの面倒も見て貰ってきた恩があったので、何度も懇願されると、むげに断わり切れなくなった。
ハシは困って「おシマ、お前どうする?」と聞いてみた。シマは突然聞かれて、どう答えていいか判らなかった。だが、そんなシマに、すぐ伯母のサキがすかさず、微笑んで話しかけて来た。
「おシマー、伯母さんの家に来たらね、学校にも行けるし、食べ物も一人で腹一杯食べてよかとぞー」と、シマがいつも欲しがっているものを言いながら懸命に誘った。
シマは自分が願ったことが叶う時が、突然やって来たことを、自然に受け入れる気持ちになっていた。「学校に行けるのなら、うち、伯母さんの家にいる!」と答えていた。
養女時代
こうしてシマは、一人、母や家族たちと離れて、伯母サキの養女として暮らすことに成った。優しいサキ伯母さんとの養女時代の生活が始まった。
シマは、抱き続けてきた始めの予感が当たり、その通りになってしまったことに不思議なものを感じていた。その願いは、シマが弟を背負って子守をしていた時、学校に楽しそうに通っている近所の子供を見て、(私も学校に行きたい!)と願ったことであった。 それは、(大好きな母といることよりも、学校に行って、教養を身に付け、うんと学べる道を選びたい)とシマ自身が思い続けて来たことだった。
近所の子供達を羨ましそうに眺めながら、悲しそうに見ていたシマの後ろ姿を、伯母サキは偶然見ていた。そして、伯母サキも姪のシマの願いを何でも叶えてあげようと思っていたのだった。
伯母サキの願望
シマは一年遅れて、念願の小学校に入学した。
シマは伯母のサキに可愛がられ、学校に行かせてくれる、伯母を本当の母のように慕っていた。
シマは、いっそう勉学に励み、恵まれた幸せな日々を過ごしていった。サキは、自分が子供に恵まれなかった分、妹のハシの子であるシマを本当の娘のように可愛がった。シマの中に、自分の望みを託し、未来に希望の光りを求めようとしていた。
だが、シマが五年生になった時、伯母のサキは、何故か突然、胃癌で亡くなってしまった。その伯母が望んでいた「未来の希望の光」は、実現する事なく、未完成のまま突然消えて無くなってしまった。
伯母のサキが死んだことが、伊万里の両親のもとに知らされた。まもなく、母のハシが、かけつけてやって来た。
山奥の田舎での葬儀が始まり、伯母のサキの亡骸が、土葬の瓶(かめ)に入れられた。
だが、瓶が少し小さかったのか、伯母のサキの頭の分だけ、どうしても入らなかった。伯父の古賀伊次郎は、その頭を「どうせ死んだのだから」と強く首を前に折り曲げるようにして押し込んだ。まるで物を押し込めるようだった。
シマは、上から押さえつけられた姿を見ていたが、伯母さんが小さな瓶に無理矢理に押し込まれ、死んだとはいえ、あまりにも息苦しそうで、痛々しく可哀相に思った。
母のハシも、それを見ていたが、かつてその土葬の瓶をハシは作っていたのだから、(せめて、お世話になった姉のサキに、ゆったりとした大きめの瓶に入れてあげたかった・・・)とつくづく最後まで恩を返せなかったことを残念に思っていた。
無念の思いで、首を折ったまま葬られていった、伯母のサキの「未完成の希望の光」と「母ハシの返せなかった恩」をシマはしっかりと心に留めた。
未来のシマ
だが、「伯母と姪っ子」という二人のこの関係は、一時的であったが、お互いの望みが一致して勝利した第一段階の希望の「光の基台」であった。そして、この時に起こったことは、やがてシマが成長した時、同時性をもって展開されていくようになる。
いつの日か、シマはこの伯母の立場に立って、母ハシの立場にある妹チカを助け、そしてシマ自身の立場を再現する甥っ子か姪の存在に、大切な「謎解きの文」を託しながら、未来に望みを抱きながら、それを見届けようと願うようになる。
「伯母サキの基台」はそのまま「シマの基台」となり、シマは、今は亡き伯母のサキが望んで果たせなかった願いを完結する使命が残されていたのである。伯母のサキは、まさしく未来のシマの姿だった。
残された二人
無事に、サキ伯母さんの葬儀が終わった。
母のハシは、養父の古賀伊次郎とシマが二人きりになり、火が消えたように淋しくなってしまった家の中の様子を感じていた。家の中の物は、すべて悲しく沈んで見えた。
取り残された二人は、サキが太陽のような存在だったことを、今更ながら気がついたのだった。
最愛の連れ合いを亡くした伯父の伊次郎は、ガックリと肩を落として、力を無くしていった。伊次郎も、これから一人で畑仕事をしていくことになる。畑から帰って来ても、いつも独りぽっちで、ポツンと寂しそうにしているシマを思い浮かべ、何だか本当に可哀相になっていた。
妻のサキを母親のように慕って、いつもあれほどはしゃいでいたシマが、サキを亡くした後、悲しみに沈んで笑わなくなってしまった。哀れ過ぎて見ていられない程の落ちこみようだった。
伊次郎は(無粋で気が行き届かない男手ひとつでは、シマという女の子を大事に育てるのは無理かも知れない)と悟った。「おシマ、お前、里に戻りたいか?」「ううん・・・」シマは首を横に振った。「伯父さんはな、一人で大丈夫だから、おシマ、お前はやっぱり両親のいる所に戻った方がいいぞ・・・」
伊次郎は、法事に来たハシに、いろいろとその後のことを話し合った。そして、シマは再び、伊万里の両親の元に帰って行くことに決まった。伯母のサキの死によって、突然、シマの養子時代が終わった。
流転の宿命
五年間の養子時代を終えて、シマが両親の家に戻って来ると、弟たちの数が増えていた。
「あれ、僕達にお姉さんがいたの?」と弟たちが驚いて迎えてくれた。
シマは伊万里の小学校に転校して、残りの一年半の学業を続け、無事に卒業した。
シマは、小学校を卒業すると、再び家を出て、二年間の年期奉公で子守りの仕事に行くことになった。
その頃、目の悪い父は、商売が仲々うまくいかず、シマの二年間の給料分は、既に前借りしてあり、家の生活費に当てがわれていた。シマは、再び家を支えるために、仕送りする楽しみも奪われた状態で、ただただ借金のあと始末をするために、二年間にわたる「子守りの仕事」をしなければならなくなった。
シマは、他人の子供たちをおぶって、やがて訪れる「母の立場」の役を、訓練させられていた。主人に託されるむずがる子供を、いつも自分の子供のように大事にいたわり、大切に、あやし続けた。
やがて、長い長い二年間の年期奉公が終わった。シマは、他人の子供の子守りの仕事からやっと開放されホッとしていた。シマは再び、家に戻った。
集団就職
(やっと子守りから開放された・・・)と思っていたが、ある日、紡績会社の求人係の人が見えて、「賃金が高いから、ぜひ大阪の女工さんで働かないか?」という話があった。
月給二十五円もくれるという勤め口はそうざらに見つかるものではなかった。
当時の貧しかった家庭には、夢のような金額だった。他にも何人もの女性たちが一緒に行くようになっているということだった。シマは、(今度はきっと、高い賃金の中から、家に仕送りして両親に楽させて上げられるわ)と、喜びと期待に胸を膨らませていった。シマは、再び、田口家のために、遠い大阪の地に行くことに決めた。
出発の日、十人余りの女性の中に混じって、大阪行きの汽車に乗り、紡績会社のある岸和田に向かって旅立って行った。
この頃の日本は、明治維新以後、西欧との国力の差を埋めるために、西欧に追い付き追い越せと、各地で手工業の大きな工場が出来て、まだ年端もいかない若い少女たちが、苛酷な労働を強いられて働いていた時代であった。
紡績の機械
シマたちは大阪に着くや、すぐ広い工場の中に案内され、仕事の内容を教えられた。
翌日から、すぐ紡績の機械の前に立ち、毎日毎日、機械の歯車の一部のように、休む暇なく馬車馬のようになって働いた。
シマは、初めて貰った給料の二十五円のうち、親元に二十円を送金して、自分の小遣いは五円で何とかやりくりしようと決意した。それから、毎月それを続け仕送りを続けた。
シマの心は、自分が辛抱することで、両親たちがいくらかでも楽になるのであれば、どんな仕事も耐えられたし、何でもなかった。
だが、シマと一緒に入った女工の中には、あまりの苛酷な労働がたたって、すっかり体を壊してやむなく里に帰る者もいた。マスクをしていても、激しく回転する機械の傍に居ると、繭の糸の小さな屑が肺の中に入って、それが原因で、結核になって血を吐き、やがて身体を壊して倒れていく人が多かった。
シマは小さい体であったが、家族を支える出稼ぎの父親のような役割を果たせることが、喜びであった。どんなに離れていても、家族に対する「希望と愛情」を抱き続けていたので、健康に気をつけてどうにか頑張ることが出来た。
妹からの手紙
シマは、ある日、工場の中に漂う悪魔のような汚れた空気から逃れ、久しぶりに外に出て大阪の町を歩きながら、新鮮な空気を胸一杯に吸った。
呉服屋の傍を通った時、可愛い子供用の着物が飾ってあった。シマはそれを見ると、急に妹のチカたちを思い出した。 (出稼ぎばかりで、ほとんど家に居ないシマのことを、妹たちは覚えているだろうか・・・)と心配になった。
シマは、少ないこずかいをはたいて、その着物を買って送ってあげることを思いついた。 シマは、いつも自分だけが一人、家族から切り離されて、遠く離れた処から、支えなければならない孤独な自分の宿命に、ふとたまらない寂しさを覚えたのだった。 シマにとって、家族の絆がこれほど恋しく懐かしく感じたことは無かった。
やがて、シマの思いが込められたこの着物は妹たちに届いた。幼い妹たちは、まだ逢ったことのない姉から、突然綺麗な着物が送られてきたことに、びっくりして驚いていた。 六歳になったチカは、「あたしたちにお姉さんがいたの?」と母に聞いていた。
(まだ見たことのない姉さんが、一人、遠く離れて働いて、私たち家族を支えてくれているのだ)と不思議な思いになった。チカはその着物を見ると、何故か切なく暖かい気持ちが、その着物から漂っているのを感じていた。
遠くから、自分たちを暖かく見守ってくれる姉さんの存在を知った時、チカの心は頼り甲斐のある心強い空気に包まれて、とても幸せな気分で一杯になった。
チカはすぐ、まだ幼くつたない字で、まだ見ぬシマ姉さんに着物のお礼の返事を書いて送った。
しばらくしてチカからのたどたどしい手紙をシマは受け取って読んだ。
「キモノを送ってもらったこともうれしかったけど、それよりも自分にお姉さんがいたことを知って、ほんとにうれしかったです。お姉さん、ほんとうにありがとうございました。体に気をつけてお仕事がんばってください」と素直に表現されていた。
仕事に疲れていたシマには、そのチカからの嬉しさを一杯表現した手紙を見た時、急に疲れが何処かに飛んでいった。シマはその手紙を何度も何度も読みながら、姉妹の絆をしっかり感じることができた。いつの間にか、シマは涙を流しながら微笑んでいた。シマ自身が、妹に励まされているように、何か大きな不思議な力が湧いて来るのを感じていたのだった。
それから、シマは、その手紙を支えにますます、精を出して働けるようになった。
こうしてシマは実に二年半もの間、休暇も取らずぶっとうしで働き通したのだった。
休 暇
タフなシマも、毎日毎日の苛酷な仕事に、さすがに次第に疲れ始めていた。
突然、どうしても家族のみんなの顔が見たくなった。シマは二年六ヶ月ぶりに、初めて休暇を貰って家に帰っていった。久しぶりに家族のもとに帰ると、みんなの元気そうな顔がそろっているのを見て「ホッ」としていた。
だが、母ハシはシマの顔色が少し、やつれているのを見逃さなかった。
二十円ものお金を毎月仕送りしてくれるのは有り難かったが、無理して働き続けるシマの体が心配でならなかった。
シマは帰る早々、大阪のことをいろいろと話して聞かせてあげていると、母が「おシマ、お前、また大阪へ行って働く気なのかい?」と心配そうな顔をして聞いてきた。「うん、もちろんいくよ!」「おシマ、紡績工場で働いた女工さんは、何年かすると肺病になって帰ってくる人が多いっていうじゃないか?」「え、うん・・・」「シマ、もう大阪には行かないで家にいなさい!」「お母さん、あたし大丈夫よ!」「シマ、もし、お前が肺病にでもなったらどうするとね」「・・・」「お前も、もう年頃なのに、肺をわずらったら、もう誰からも、お嫁の貰い手も無くなるぞ!」「・・・」「働くんだったらこの近くで働きなさい!」母ハシは、シマを「これ以上、大阪の紡績では絶対に働かせない!」と、反対しシマを強く諭した。
シマは確かにやつれていた。二年半の間に多くの女工が倒れて行った。シマはついに大阪に行くことを諦めて、近くで働くことにした。この時、シマは十八才になっていた。
中 略
A闘争編の予告
一代目の甚七の残した「光の道を備えよ!」という家訓は、二代目の二人の姉妹により引き継がれていく。その後、シマは想像を絶する苦労をしながら(甚七の妹の立場で)、共に甚七の過ちを贖ない償っていくようになる。そして、一方 妹のチカは、糸島の地に嫁いで、父の無くした「光りの道」を備えるための激しい戦いをしていくようになる。
残された人生
長い長い年月が流れ、シマもチカもお婆さんになっていた。
妹や弟たちが大きくなり、みんなそれぞれ独立して所帯を持ち、子供を産んで育てるようになった。やがて、その子供たちが独立して一人前になって行く時、シマはもう八十四歳を越えて、すっかり老人の仲間入りになっていた。
七十四歳を越えた妹のチカも、今まで様々な問題にぶつかる度に、十歳上である姉のシマにいろいろと相談を訊ね求めていた。その嫁いで行った先の糸島で、チカにふりかかって来る問題の解決のために、シマは先駆けて体験し苦労しながら掴んできたものを助言として与えていた。
チカは自分の抱えている問題が、姉のシマの体験による「示唆と助言」によって、ことごとく解決していくことが不思議だった。
そしてチカが、姉のシマと共に、襲いかかって来るあらゆる試練に勝利し、乗り越えていった時、今までの重苦しい天幕が、裂けて落ちるように、全ての悩みから開放されていき、楽しげに趣味に生きれるようになっていた。
チカも、日本舞踊、造花、三味線、大正琴、民謡など、自分の好きな趣味に打ち込み、時間を費やすことが出来る余裕がやっと出来たのだ。
この二人の姉妹は、与えられた役どころをことごとく演じ果たしたのだった。
残り少ない人生を思い残すことなく、精一杯、楽しく過ごすようになった。苦労があっただけに、趣味にも力が入り、喜びもひとしお大きかった。
あとがき
シマが八十一歳になった時、これまで生きて来た過去を振り返り、遠い記憶を頼りに書き残した「自叙伝」の冊子が2冊あった。
この物語は、それをもとに書いた「ノン、フィクション小説」である。
シマが八十四歳になった時、(犬年の、梅の咲く三月十四日だった)甥である私「田口 信」がひどい風邪を引いて寝込んでいた時、もうろうとしていた頭の中に、何故か伯母のシマの顔が浮かんだ。(何だろう?)と気にかかり、フラフラしながら訪ねていった。
ぼんやりした意識の中で、いろいろと話をしている時だった。伯母は私の話しを聞きながら、急に思いついたかのように、引き出しから出して見せてくれたものが、この小冊子だった。
途中まで伯母自身が解説しながら、指で行を辿りながら、読んで聞かせてくれていたが、急に何か思い出したのか、溢れる涙で読めなくなり、代わりに私が声を出してゆっくり読んでいった。
その時、私はこの伯母の辿って来た人生の中に、(何かが隠されている)ことを直感した。そして、伯母が大切に持っていた、二冊の「自叙伝」の小冊子を預かって来た。
それを受け取って読みやすいように小説風にまとめていったものが、「遠路の果てに」という小説である。
信が、伯母のシマから受け取った小冊子は、「田口家がどんな運命を辿って来たのか、詳しく知らない弟や妹たちの為に、どうしても書き残しておかなければならない!」という何か使命感のようなものに追いつめられるようにして、書き残そうとしたものであった。
シマ伯母さんが、これまで一年ほどの時間をかけて、怪我の後遺症で自由に動かなくなった右手を震わせながらも、記憶の許す限り、忠実に書き残そうとしたものであった。
シマ伯母さんは、それを何度も読みながら、幾たびも涙を流したに違いない。
ある時は、幼心に戻って、今は亡き(父甚七や母ハシ)の隠された気持ちを再発見したり、過去の自分に出逢いながら、涙を流しながらノートに書き綴っていったものであった。
そして、私、(田口
信)も、その小冊子を小説風にまとめていくに当たって、涙を流しながら、次々と「隠されていた新たな謎」を解く、手がかりを掴んでいったのだった。
そして、シマの歩んで来た道は、信がこれからたった一人で成そうとする行動に、更なる確信と裏付けを与える結果になった。
信の心情は、田口家の暗い過去の歴史の中に、吸い込まれ彷徨っていった。そして、シマの背負って来た苦労の心情を受け継いで、巨大な構想が一つに溶け合っていった。
最後に、シマは八十歳になるまでの自分の人生を振り返って、時世の句を残している。
生まれしも 独り死するも 独りの人生は 孤独 ・・・ 山下シマ
さいごに
シマの生きて来た人生は、軍国主義時代から戦後復興時代、そしてバブル崩壊の時代までの、目まぐるしく変る、「激動の時代」を生きて、実に多くの悲惨な人間の運命を見て来た。その苦労だらけの人生に一体どんな意味が隠されていたのだろうか?。
シマは、自分のこれまでの人生をまとめ、すでに死の準備を整え始めていた。
あとは、この小冊子に肉付けし、(全体的に意味のある作品としてまとめてくれる人がいないだろうか?)と ある誰かを待っていた。
シマは、自分の「自叙伝の出版」についてを、尼になった瀬戸内寂鐘さんにお願いしようと、彼女の住所まで控えていた。
だが、そんな時、甥の信が突然、目の前に現われた。信の話す「身の上話」の中に、シマは、説明できないある不思議な共通性を感じた時、急に立ち上がり、タンスから紙の袋を取り出した。
(甥っ子の信には、私の自叙伝を理解できるかも知れない)そして(私の願いを叶えてくれるのは、ひょっとしたら、訪ねて来てくれた(信)かも知れない?)と、急に閃いて、引き出しから取り出して、読んでくれたのではないだろうか?。
苦労と孤独の中に、いつも生きて来たシマ伯母さんは、甥の「信」が歩いている宿命の道は、何故か過去に自分が歩いて来た、寂しくも懐かしい道のような、不思議な共通性を感じ始めていた。
伯母は、思想や宗教に惑わされる息子(信)を心配して何かと相談してくる妹のチカに、「信は、あれは、宿命の道たい」と答えていた。
信の頭の中は、既に通過すべき暗黒の路程は、すべて通過していた。そして最後の封印を解くにふさわしい大局的思考が完成しつつあった。
だが(最後のものが一体何であるのか?)がどうしても解けなかったが、それは、突然、思いがけないところから現われた。
それは最後に自らの正体に目覚める「日本民族」を象徴する「信」が、光を求めながら彷徨い、苦労の歴史を歩んで来た世界的選民である「イスラエル民族」を象徴する「田口家とシマ」が見いだす歴史的宿命の出逢いを表わしていたのだ。
日本民族が「正しい主人」を見つけて、長い眠りから目覚め、日本古来の姿に生まれ変っていく時、世界の国々に流浪の民となった第一イスラエルは、日本という国の存在の意味を知って、次第に自分たちが立てるべきであった(実体の神殿)を迎えるための備え、「光りの道を備える」という使命を発見し目覚めていく。
その日のために、先駆けて先行し勝利していく「ひな型の役割」をするふたつの立場が天にはどうしても必要であった。
ここに来て、ただ訳も判らず苦労と孤独の道を辿って来たシマの人生と田口家の歴史の中に、神の選民として立てられた、ある民族が辿って来た、四千年の歴史の「全ての内容」が含まれていたことに、信は気がついたのであった。この、選民と皇国を表わす二人がそれぞれが立たされていた、「宿命の道」を誰が想像しえたであろうか。
イエスの語られた「たとえ話」は、終わりの日に、日本のおとぎ話の「たとえ話」と同時に、その謎が明らかにされ、完全に成就するように計画された。
やがてその「おとぎ話の謎」を解く者が現われた時、「聖書の封印された奥義」も、同時に完全に解かれていくようになる。 そして、その使命を持って現われる存在を待ちこがれ、かくも長く暗く辛い道を歩んで来なければならなかった二つの選民。その立場を三代で再現する「天の供え物」が必要であった。その悲し過ぎるほどの田口家の歴史の中に、見えざる天の摂理と意図が隠されていたのだ。
シマは、生きてこの事を確認する、最も恵まれた「栄光の女性」として選ばれたのであった。
つづく
全ての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に平安な義の実を結ばせるようになる。
ヘブル人への手紙12/11 |
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