米と豆
日本人は
お彼岸やめでたいことが起こると
赤飯を炊いたり おはぎやぼた餅を作って祝う。
「何故そうするのか?」今まで その深い意味を考えた人はいるだろうか?。
この もち米と豆(あずき)の二つを組み合わせる意味とは何であろうか?
この普段は 別々である二つの物が混ぜ合わさって 米があずきの色に赤く染まったり あんこがモチ米を包む時に 大変めでたい喜ばしきことが訪れることを象徴しているのではないだろうか?。
日本人が食べる 普通の米とおかず。だが そのおかずは ほとんど (納豆 豆腐 醤油 味噌汁 おから )と豆から作られたものが多い。
これは 日本人は普段から ご飯と豆を 両方とも別々に交互に意識しないで食べていることになる。
ところが 何故か 目出度い時だけ その米はもち米になり 豆が入って仄かに染まった赤飯や豆ご飯になる。主体の立場の米が
対象の立場から 仄かに味と色を受けて染まり包まれるようになるのだ。
白いご飯があずき豆から 何かを吸収して行く時
何か喜ばしきことが始まる。
そして重箱に詰められ 恩ある人に届けられる。そして 二本の朱塗りの箸で食べ 口の中に導く時 人は目出度い日が来たことを舌で味わい心から祝うようになるのだ。
省 略
「今井まこと」は
「シマ」に出逢い 「田口」の名前を名乗る許可をもらいに来た時
偶然にも 「シマ」の自叙伝の小冊子を渡されて 田口家の辿って来た「光を求める道」を見い出した。
「シマ」の抱えて来た課題は 「まこと」の抱えて来た課題と一つになることを直感した。
「まこと」はこの課題を解決するために 田口家の過去の歴史の中に
深く入り込んで行くことを自ら選んでいくのである。
「シマ」は 豆の中でも小さい小粒の「あずき」であり 「まこと」は 米の中でも粘り強い「もち米」をそれぞれ象徴しているのかも知れない
日本人は
有史以来 あたかも「信仰条件」のように伝統的に続けられて来たこの稲作で作った米を食べ続けて来た。ところが ここに来て 初めて国産米が外米とブレンドされて食べられるようになった。これは何を意味しているのだろうか?
これは やがて日本が世界の中に溶け合って
(和の精神)でおいしく炊きあげ 包んでいく時代がやって来たことを
前もって示す「世界平和の雛型」ではないだろうか?
つづく●次の講座で |