メッセージ @ 

田口正神

偽の主人に従って忌しい無礼を働く灰、
人生を台無しにする者達への「宿命の予言書」

さん @ ()

さん」と言えば、我々は幼い頃から絵本を見たり、誰かに読んで貰ったりして、その話の粗筋は、日本人ならば、ほとんどの人が誰でも知っていると思う。 
 
 さん @ ()

ポプラ社 絵本より
絵 高橋信也 氏
文章は詳細
文献より編集
 
 「 うーらの畑でポチが鳴くー、
   正直爺さん掘ったならー、
     大判、小判が、ザーック
        ザーック ザックザク 」

 ・・・・・・と、こんな出足で始まる童謡だが、子供の頃よく口ずさんだ記憶は残っている。この歌は3番まである、一応紹介しておこう。

さんの唄を1番〜3番まで詠 んでみる。

さんの唄を、絵本と照らし合わせて3番まで詠んでみると      

@

明○○

う…らの畑でポチが鳴く…    
正直爺さん掘ったれば…
おお…ばん 小判が
    ザークザ…クザックザク♪
 

暗×●

 地悪爺さんポチ借りて…   
う…らの畑を掘ったれば…
瓦や貝殻
    ガ…ラガ…ラガッラガラ♪
 

A

明○○

正直爺さんウス彫って…    
そ…れでモチをついたれば…
ま…たぞろ 小判が
ザ…クザ…クザックザク
 

暗×●

 意地悪爺さんウス借りて…    
そ…れでモチをついたれば…
     ま…たぞろ 貝殻
    ガ…ラガ…ラガッラガラ
 

B

明○○

正直爺さん灰まけば…     
は…なは咲いた枯れ枝に…
美はたくさん     
    お蔵にいっぱい♪
 

暗×●

意地悪爺さん灰まけば…    
殿様の目にそれが入り…
 とーうとう 牢屋に
    つーながーれまっした♪

以上… 

正しい主人と共に人生の花を咲かせる者達の
「栄光と誉れの輝く予言の書」
  貴方は花を咲かせる閃きの灰か

 この歌の中に秘められたストーリーを要約すれば、2つの相反する存在の生き方と運命を、3段階であらわしていることが判る。

 
このさん」のおとぎ話は、ほとんどの人が桃太郎や浦島太郎などと並んで、よく幼稚園の学芸会などで、一度は演じたり見たことが有ると思う。
 だから、このストーリーについては、園児や子供の時からしっかり覚えているはずだから、全く知らないと言う人はあまりいないと思う。

 だが、大人に成った今の我々には、もう関係の無い、ただ単に子供の為に聞かせる童話と考えてやり過ごし、その中身について、真剣に考えた人は居ないのではないだろうか?
この作者不明の物語は、
誰が、いつ、どのような意図で造ったのであろうか?

 この世に存在するものは、全て、目的を持って造られているものだと思うが、未だに、そのおとぎ話が、子供に対して何を教えようとしたものなのか、謎めいた話ばかりでよく判らない。又、とことん突き詰めて、調べて見ようとした人も
いないのも不思議な処である。

 もし これらの、誰でも知っている物語りの中に、深い「謎と奥義」が隠されていて、将来の日本人が辿らなければならないという「何らかの運命」を暗示した、未来に対する預言の物語だとしたら、この昔話は、もう 単なる幼児の読み物 では済まされなくなる。

 この物語を、幼い頃から聞かされて来た子供達が、やがて大人に成って自分の人生を振り返る時、大切な警告と戒めが含まれていた事を、初めて気が付く様に与えられた物語、だとしたらどうだろうか。 世の終わりの時に、この昔話の真意が、明らかにされる時、全ての人がこの物語によって裁かれることにもなるかも知れない。
 
 この物語の隠された奥義の、真の意味を知ることが、この世紀末と言われる現代に 生きている、全ての人に今、何よりも求められている。そしてこれは、日本人自身が、まず真っ先に知らなければならない、最重要課題なのではないだろうか・・・?。

 世の終わりの時代、と言われる こんにち、幼児から戦争を体験した老人に至るまで、又、文盲から博士に至るまで、この例外なく、全ての人が知っている「昔話の奥義」を公開することが許される時、隠されて来たあらゆる真理が明かされ、日本人の正体が何なのか、はっきりと理解できる内容が伝えられるであろう。

  

イラスト

ポプラ社
 絵本より

古い昔話の絵本を探しています
 

@段階 犬

 

A段階 ウス

 

B段階 灰
 ・・・省 略

それでは、このさん」の話を、始めの部分から解説していくことにしよう。
40年前ぐらいに普及していた古い昔話の絵本をご存知の方はお知らせ下さい。 イラストと文章を当時の子供時代に読んだ絵本から忠実に再現しながら解説を試みたいと思います。

さん」の解説、はじまり、はじまりー



 
昔、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
 お爺さんは、山へしば刈りに、お婆さんは川へ洗濯にいきました。お婆さんが、川で洗濯をしてると、川上から、
「チャップリ、チャップリ」と小箱がたくさん流れて来ました。お婆さんは、それらを見ると「中身の有るもの、こっちへ来い!。中身の無いもの、あっちへ行けー!」と、叫びました。すると、やがて 一つの小箱が、お婆さんの近くに流れてやって来ました。お婆さんは、その小箱を拾って家へ持って帰り、棚の上に乗せておきました。

 この最初の始まりの部分は、なんだか、桃太郎の話によく似ている。だが、川上から流れて来たのは「大きな桃」ではなく、たくさんの「小箱」だった。おとぎ話に出て来る「川」は、しばしば時代の流れを表わす。
 川上から流れてきた、たくさんの箱というのは、古代の悠久なる時代の流れをくむ、たくさんの家系を表わしているように思える。その中から、内容のある一つの忠実な条件をたててきたある存在が、突然老人夫婦のもとに迎えられることになるのだ。

 お婆さんは、このたくさん流れて来る小箱の中で、たった一つ、中身の有るものを選んだのだ。そして、この
小箱を家に持って帰り、棚の上に乗せて置いたとあるのは、時が来るまで、ある一定の時間の経過があり、その間、しばらく箱の中身は、伏せられることを示している。
 それは、日本選民として代々、祭りや神事などの条件をたててきた、部落や地域をも表わしているようにも思える。
神輿が担がれて群衆によって運ばれて行くように、この箱は はるか昔から続いて来た、「時代の波」に流されてやって来たのだ。

 夕方になると、しば刈りに行っていたお爺さんが山から帰って来ました。「お爺さん!、めずらしい箱を、川から拾って来ましたよ」と、お婆さんは言いました。
 お爺さんは
「中に何が入っているのだろう?」と、その小さな小箱の蓋を、おそるおそる開けて見ました。すると、中から、てのひら)に乗るほどの「ちっぽけな犬」が出て来ました。
 二人は、
「うちには子供がいないから、この犬を可愛がって、育てよう」そう言って、その犬に「ポチ」という名前を付けてあげました。
 それからは、二人は、自分たちの食べる分のご飯やら、魚やらを分けてやって、大事に、だーいじーに、育てました。犬は、一杯食べれば一杯だけ、二杯食べれば二杯だけ、ぐん、 ぐーん と、 大きくなっていきました。

 このお爺さんが帰って来た「夕方」というのは、歴史の終わりが近づいた時の、今まで見えなかった主人が突然現われた、「近代」の時代を表わしているように思える。

 その時、この小さな箱の中に眠っていた存在は、まだちっぽけな子犬だった。優しい主人は、時代という川から引き上げられた、この未熟な子犬を育て、まるで、親と子のように、共に生きようとする。

 ポチは、優しい主人のもとで、実の子供のように可愛がられ、すくすくと育っている様子が伺える。 そして、主人と同じご飯と魚を食べて、賢く逞しい犬になったポチは、やがて主人のために、
忠誠を尽くす「力ある存在」になっていく
のだ。

 さて、ある日のこと、ポチは、お爺さんに言いました。「ワンッ、 ワン!、おいらの背中に、鞍をつけてください!」(鞍とは、馬の背中に付けて人が乗る、あの鞍です) お爺さんは、「そんなこと、できないよ」と、何か 他のことをしていました。 するとポチは、自分で、鞍をくわえて来ました。「ワン 、ワン!、いいからつけてください。それから、袋と、クワも、つけて下さい」と、かますとクワも くわえて来ました。

 「ポチ、そんな重いもの、なんにするー」「ワン 、ワン、いいから、いいから、みんなつけて、おいらに乗って下さい!」お爺さんは、「そんなことしたら、お前、つぶれるぞ!」と、心配して言うと「ワン、ワン!、いいから、乗って下さい!」と、ポチは、どうしても行かなければならないかのように、お爺さんを促しました。お爺さんはとうとう、ポチの望みどうりに、その背中に鞍を付けてあげ、そして、袋とクワもつけてあげると、仕方なく、おそるおそる犬にまたがりました。

 ここで、実際に人間と言葉で会話をする犬がいる訳はない。この逞しくなったポチは、実際の動物ではなく、犬のような忠誠心を持つ、他の何かを表わしている。自分を、川から拾って可愛がってくれる主人に、恩義を感じ、自分から進んで何か尽くそうとする、けなげな存在を表わしている。

 今まで歴史という川が、「小さな箱」を運んで来たように、この「小さな犬」も大きくなると、自分の背中に鞍をつけさせ、
主人を担ぎたがる、悲しい習性を持っている様だ。 この時代という川は、担いできた箱を、お婆さんの家に導いた。そして、その中から出て来たポチは、まるで神輿のようにお爺さんを担ぎ、その家を豊かにし、富み栄えさせるために、宝を捜しに近くの山に行こうと立ち上がるのだ。

明治憲法  日本政府

 ポチは、お爺さんを背中に乗せると「タッタッタッー!」と元気良く走り出しました。そして、裏の山へ力強くかけ登って行きました。しばらく歩いてちょっと曲がった処に来ると、「クンクン」と、地面を臭うと、ポチは、土を前足で 掘るしぐさをして、「ここ掘れ、ワン、ワン!」と、お爺さんの顔を見て鳴きました。

 お爺さんは、
(はて?、土の中に一体何が有るのかなー?)と、不思議に思いながら、クワで掘ってみました。しばらく掘っていると「チャリーン!」と、音がしました。「あれれー、なんだろうー?」クワを掘り起こす度に、後からあとから金色に輝く大判・小判の宝物が、「ザクザク、チャラチャラ、ピカッ!」と、出て来ました。お爺さんはたいそう驚きました。そして大変喜んで、宝を見つけてくれたポチを褒めて、お礼を言いました。

 「ここ掘れ、ワン ワン!」と鳴いて、大判小判の宝のありかを教えようとする、このけなげな「ポチ」は、いつも自分を可愛がってくれる主人の為に、自ら何か奉仕しようとする、忠実なしもべを表わしているのではないだろうか。

日本軍 進軍ラッパ

 お爺さんは、その宝物を袋に入れて、ポチの背中に乗せて再び家に帰って来ました。「お婆さん!、お婆さんや、見てごらん!。ポチが宝を見つけてくれたよ」と、大判小判や宝物を座敷に広げました。お婆さんは、「あーれー、まーあ、ポチがー?、ありがとうよ、ポチ!」と、ポチの頭を撫でてあげ、ご褒美に、特別に豪華なご飯をあげました。
 するとそこへ、
「隣の欲張り婆さん」「火を貸してくれやー!」と 顔を出しました。

 座敷に広げられた、「まばゆいばかりの宝物」を見ると、目をむいて驚いて、
「その小判、どうしたんだね?」と、聞きました。お爺さんが訳を話してやると、「じゃあ、おらにも、その犬を貸してくれや!」欲張り婆さんは、火を借りずに、いやがるポチを無理矢理、引っ張って帰っていきました。

 やがて、隣の爺さんも、婆さんの話を聞いて、いやがって むずかる、ポチの尻を鞭で叩きながら、力まかせに引っ張って、山に登っていきました。 ポチが、嫌がってなかなか言うことを聞かないので、意地悪爺さんは、ポチの体を、さんざん何度も叩きながら、宝の埋まっていそうな場所を捜させました。

 やがて、傷つき疲れてしまったポチは、山の上に着くと、しかたなく土を掘るまねをしていたが、そのまま、
「バッタリ!」と、疲れて倒れてしまいました。意地悪爺さんは、そこの地面を、クワで掘ってみると、中から、糞や、がれきなどの、がらくたが、ゴロゴロと たくさん出て来ました。おまけに化け物やら、蜂の大群が現われて襲いかかりました。

日本軍 行進

 この部分は、日本民族の忠実性を、主人にちゃっかりとなりすました隣の偽の主人(軍閥?)が利用し、お国の為と称して、遠い他国に連れて行った、大東亜共栄圏の軍国主義時代の日本を、表わしているのではないだろうか?。さあ、その後の、展開を見てみよう。

 隣の意地悪爺さんは、近くの地面をいくら掘っても、糞や がれきしか出さず、おまけに 中から出て来た、蜂の大群に刺されたり、化け物に追われたりで、さんざんな目にあいました。ついに怒りが頂点に達した意地悪爺さんは、やっと起き上がったポチを見ると、腹を立てて「カッー」となってクワを振り上げ、ポチの背中をめがけて、「ボカッーン!」と 一撃しました。「キャイイーン」山の中でポチの最後の泣き声が響きました。とうとう、ポチは殴り殺されてしまいました。意地悪爺さんは、死んでしまったポチを、掘った穴にほうり投げて埋めると、何故かその上に、一本の「松の枝」を立てておきました。

 この殺されたポチは、いくら戦っても、悲惨な戦況しか生み出さず、大東亜戦争の犠牲となって異国の地で死んでいった、「無念の兵士達」を表わしていたのではないだろうか。
 机上だけの無謀な作戦計画で、多くの戦死者を出した
インパール作戦など、視野の狭い軍人たちが、日本の裏の畑に相当する、満州、アジア、ビルマなどに、忠実な若き日本兵たちを引っ張って行った。後方兵たんも補兵も十分考えずに、ただ「皇軍精神」だけで進ませた結果、わずかな食料、弾薬、燃料も尽きて、たちまち飢えと病に倒れていった。 雨期には、マラリアや赤痢にかかり、何万という戦死者や傷病兵を出していった。この裏の畑というべきアジアの植民地は、「主人」「天皇」から「軍閥」という「偽の主人」になり変わった時、いくら掘っても、いつしか美しい宝は、出さなくなってしまっていったのだ。

戦時の兵隊の行進

 ポチの主人であるお爺さんは、隣の爺じが、なかなかポチを返しに来ないので、心配になって訪ねて行きました。すると、蜂に刺されたブツブツの腫れた顔で現われた爺は、「あんな、いまいましい犬、殺して埋めて来てやったわ!」と、吐き捨てるように言った。「おーー、かわいそうにー、その場所はどこじゃー」「松の枝を立ててあらあ!」

 ポチを可愛がっていた主人は、悲しみながらその山に行ってみました。すると、土を高く盛った上に、確かに一本の「松の枝」が立っていました。翌日、お爺さんは、お婆さんと一緒に墓参りに行ってみると、いつのまにか小さかった松の枝が、みごとな「巨大な松の木」に成長していました。二人が驚いて見上げていると、その大きな木の上から、(お爺さーん、ウスにしてー、ウスにしてー…)と、いう ポチの悲しそうな声が聞こえて来ました。

 
 この死んでいったポチの恨みと悔しさは「英霊」となって、戦後の急激な経済復興を表わす、「巨大な松の木」で作ったウスに託されていった。そして そのウスには、第2、第3の立て直しの為に、日本を導き見守る霊界からの、全ての願望がかかっていた。

長崎の原爆

 お爺さんとお婆さんは、この松の木の幹を切って、家まで運んで行きました。そして、お爺さんは、何日も、なーんにちも、時間をかけて、ウスキネをこしらえました。

 すると、お婆さんが、
「お爺さん、ポチが好きだった、モチを ついてあげましょうかね?」と、言って「もち米」を炊き始めました。 やがて、炊き上がったもち米を、ウスの中にいれました。それを お爺さんがキネでつき、お婆さんが水を着けた手で、モチをひっくり返していると、白いモチが突然、金色に輝きだしました。

 不思議に思いながら それを丸めながら並べていくと、次から次へとモチが
大判・小判に変っていきました。ちぎろうとするモチの中からも、「ザクザク!、チャリーン」と、小判が次々と出てきました。


戦後 廃墟  戦後復興の日本の姿

 正直爺さんが、真心を込め、時間をかけて造ったウスとキネは、正しい教育で立派な人間を育てる、学校や社会という教育の場、(修練の道場)を表わしているのではないだろうか?。

 つけばつく程、鍛えれば鍛える程、豊かな
お金を生み出す、正しい修行をしている様子が伺える。 すると、ウスに入れられてキネでつかれるモチ米たちは、人間たちを表わしていることになる。

 粘り強い忍耐力を身に付けた、人間が生み出すものは、豊さと繁栄をもたらしていった。そして、その大判や小判になって輝き出したものは、戦後の日本を優秀な技術大国に導き、経済復興のために集団就職していった、若き企業戦士金の卵のようなモチであった。そして、そのモチは、正月に供えられる鏡モチ、神に捧げられる犠牲の供え物としても暗示されている。

英霊の塔の写真

 そのようすを、障子の破れ目から、隣の意地悪な爺さんと婆さんの二人が、覗いていました。(イーヒーッヒッヒッ、こりゃあーいいものを見た・・・!)今度も、火も借りずに、「そのウスを、おらたちにも貸してくれや!」と、有無を言わせず、二人で、ウスをかついで帰っていきました。

 昔は、火をおこすにも一苦労で、大切な妻の仕事であった。それを、自分で火をおこすこともせず、安易に隣に借りにくる、不精な生き方をしている存在が、利用できるものを目ざとく見つけて、近寄ってくることを意味している。


 
又もや、大切なウスを「言葉巧みな隣人」に奪われてしまった。同じ様な事を二度繰り返してしまう。 この松の木を切って造られたウスは、正しき主人のもとで、しばらくは小判を出していたのに、それを横から来た、なまけものの老夫婦に奪われてしまう。この奪われたウスは、一体、何を表わしているのだろうか?。

 これは、本来の主人の為に備えられた、戦後世代の若者達の内のある一部が、所有権を主張する何者かによって、奪われて行くという事を示している。汗もかきもせず、口先だけで巧妙に惑わしては奪い取る存在である。

 だが、その松の枝は、もともと隣の意地悪爺さんが植えたものだったので、所有権を半分持つ、隣の意地悪爺さんが、強引に借りていっても仕方なかった、と言える。 ところが、この奪われていったウスは、あくまでもポチの無念の願いとともに大きくなった、松の木で作ったものであり、正直爺さんが、自分自身で汗を流しながら彫って造った、大切な道具だった。

ポプラ社
 絵本より
 現在、最も普及している絵本よりイラスト採用
(一部合成)

絵 高橋信也 氏
文章は詳細文献より編集
 

小箱がたくさん
流れて来ました

 

小箱の中身は実際には見えない

 

中身の有るもの、
こっちへ来い!

 

その犬に「ポチ」
と名前つけました

 

一杯食べれば 一杯だけ、

 

二杯食べれば 二杯だけ、

 

ぐん、 ぐーん
と、日々

 

大きくなって
いきました。

 

僕の背中に鞍を
つけて下さい!

 

お爺さんの顔を見て鳴きました。

 

「ここ掘れ、
ワン、ワン!」

 

「ザクザク、チャラチャラ、ピカッ!」

 

金色に輝く
大判小判
が出てきた。

 

家に持ち帰って座敷に広げると

 

そこへ「その小判どうしたね?」
「おらにも犬を貸してくれや!」

絵では隣の爺だが→文は隣の婆

 

ポチの体を
何度も叩きながら
無理やり
宝を捜させました。

 

糞 瓦礫、蜂、化物、ガラクタばかり

 

隣の爺はクワでポチを殴り殺し
穴に埋め、一本の松の枝を立た

 翌日、小さかった松の枝が、見事な「巨大な松の木」に成長していた。
 
(お爺さん・・・ウスにしてウスにして・・・)ポチの悲しい声が聞こえてきた。

 

松の幹を切って家まで運び何日もかけてウスとキネをこしらえた。

 
 炊いた「もち米」をウスの中に入れて キネでつきはじめると・・・

 
 モチが金色に輝き、大判小判に変っていった。

 
 「ザクザク!チャリーン」

 「ウスを貸してくれや!」又しても二人でウスを担いで帰っていった。
は時代により移り変わりつつ交互に出現してくる
 二つの主人正体とポチの変化意味解明します。

「花咲か爺さん」の話が日本人へ贈られた終末の予言書と捉えて、日本近代歴史を3段階にわたる比較検証を試みて詳しく解明していきます。どうぞご期待下さい。
 
 

1段階
 ポチ= 英霊

(戦前の日本人・日本兵)
 

2段階
 ウス= ??

(戦後の日本・企業戦士)

3段階
  灰= ??

(バブル崩壊後の日本)
 

日本人が辿るべき苦難が
どんなものかを示している
次は「??」を解明します

 おわり   つづく…

正しい主人と共に人生の花を咲かせる者達の
「栄光と誉れの輝く予言の書」  貴方は花を咲かせる閃きの灰か?


を読んで頂きありがとうございました。

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