この鬼を退治する桃太郎の「武勇伝」のような話の中に、近未来に起こる、 日本を揺るがす、大きな危機が来ることが隠されていたのだ。
いよいよ、このことを明かさなければならなくなった。この桃太郎は、非常に特殊な人間像を表わしていて、他の人間とは、ちょっと違う、孤独な世界を背負った存在でもある。
中から赤ん坊が生まれて来る様な、そんな大きな桃は、現実には存在しないし、 この桃は他の何かを象徴してる事はお判りだと思う。
なぜ桃太郎が、桃の中から生まれて来るのかは、解説の中で理解できるようになると思う。 この甘い桃の実の中には、意外と大きな硬いカラ)に覆われたタネが入っている。 又、小さな産毛が生えたような肌ざわりは、人の体のようにセクシーで上品な果物でもある。
ここまでの話しで、ひょっとしてこの桃は、女体を表わしてるのでは、と感じてる人がいたら、 かなり、鋭い感を持ってる人と言えるかも知れない。 確かに、可愛くて、食べたくなるような、
お尻を持つ女の子を、桃尻娘と言ったりもする。
だがそれだけでなく、他の果物でなく、 どうしても桃でなければならないし、桃から生まれて、「桃太郎」と名付けられなければならない 必然的な理由があるのだ。ここには、もっと深い意味が隠されているようである。
では、創造力豊かなみなさんの妄想を超えていくかも知れない話を始めることにしよう。
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昔、むかーし、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
お爺さんは 山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが、洗濯をしていると、 川上のほうから、大きな桃が「ドンブラコー、ドンブラコ」と、流れてきました。 お婆さんが、桃を拾って食べてみると、うまいのなんのって…。
「もう一つ流れてこーい。
お爺さんにあげよう」と、言ってしばらくの間待ちました。それからずいぶんとたってから、(もう一つ流れてこーい。お爺さんにあげよう)もう一度小さな声でそう言うと、今度は、びっくりするような、もっと大きな桃が流れてきました。
「これはこれは、驚いた。まるで、お月さまが落ちてきたような、大きな桃じゃ」 お婆さんが「こっちにおいで」と言うと「ドンブラコ、ドンブラコ」と、お婆さんのほうに 流れて来ました。
「なんて、不思議な桃じゃろう」大きな桃を抱え上げると、家へ持って帰って
戸棚にしまっておきました。
初めに流れて来た桃は、お腹のすいていたお婆さんにその場で食べられてしまった。
「もう一つ流れてこーい」と、言って待ったが、二度目は流れて来なかった、三回目に、 (もう一つ流れてこーい)と、そっとつぶやくと、とてつもない大きな桃は現われて来たのだ。
この始めの小さな桃は、簡単に食べられてしまったが、最後の大きな桃は、(主人のお爺さんに あげよう、もう一つ流れてこい)と、祈るように静かにつぶやく時に現われた。
そして、あたかもその桃に意志があるかのように、「こっちにおいでー!」と、呼ぶお婆さ
んの言葉を理解して近寄ってきたように見える。
この、上流から長い間、川に揺られて流されて来た「大きな桃」は、突然お婆さんの手によって
引き上げられ、しばらくの間、家の戸棚の中にしまわれる。
やがて、夕方になるとお爺さんが山から帰ってきました。
「お爺さん、お爺さん。きょう、川で洗濯していて「大きな桃」を拾ってきましたよ。二人で食べましょうね」お婆さんは、大きな桃を戸棚から出して来ました。
「へえー、驚いた。こんな大きな桃は見たことが無いぞ。おいしそうじゃのうー」
お婆さんは、包丁で桃を切ろうとしました。
すると、まあ!、突然、「パカッ!」と二つに割れて、中から元気な声をあげて、男の
赤ちゃんが出てきたではありませんか?。
「ホギャア、ホホギャア」それはそれは元気な男の子でした。二人はびっくりしましたが、たいへん喜びました。 「子供のいない 私たちに、神様が授けて下さったのでしょう」 お爺さんは「これはいいものを授かった。桃から生まれたから、桃太郎)という名にしよう」と言いました。
それから、桃太郎は、飯も魚も、モリモリ食べて、一杯食べれば一杯だけ、二杯食べ れば二杯だけ、ぐんぐん大きくなりました。そして、時々お婆さんが作ってくれる、大好きな「きび団子」を食べてどんどん大きくなっていきました。
普通、「(桃の実)から赤ん坊が、生まれて来る筈は無い!」と誰でも思うが、かぐや姫も、竹の中から生まれて来る。この桃や竹に何か、隠された意味があるのでは と感じている人がいるだろうか?。 現実には、有り得ない話がポンポンと出て来るところにこそ、おとぎ話の奥義の謎解きの面白さがある。
途中、石があったり、滝があったり、激しい川の流れの中でも、桃太郎をしっかり包んで守って来た桃の実は、包丁を当てようとした途端に、自ら身を裂いてパカッと弾けて、
子供が中にいることを知らせた。お婆さんの持つ包丁の刃がそれ以上、近づくのを遠ざけたのだ。
この桃は、大切な子供の命を、わが身を盾にしても必死に守ろうとする、母性本能の 意志を持つ存在なのだ。たいそう元気の良い、力強い子供は、「桃太郎」と名付けられ
た。
この桃と言う果実は、お尻のような妙に色っぽいかたちをしている。割れてるように見えるが、割れてはいない。そして、甘く熟れても、決して全体が赤くなることは無く、 仄かに、頬を染めた女性のように色づく。これが桃の持つ最大の特長である。この事は、
大変重要な意味を含んでいることが後で判ってくる。
ある日、近所の子供が、桃太郎を誘いに来ました。
「桃太郎!、一緒に山へ行かない
か?」すると、桃太郎は「いいや、今日は、縄をこしらえるから、いやじゃ!」と 断わりました。しばらく経ったある日、また近所の子が来て「桃太郎!、一緒に山へ行かないか?」と、誘って来ても、「いいや、今日は、わらじをこしらえるから、いやじ
ゃ!」と、断りました。
そして又しばらく経ったある日、「桃太郎!、一緒に山へ行かないか」誘われると、「いいや、今日は、鎌を研ぐから、いやじゃ!」と、ことごとく断わるのです。それでいて、仕事はぐずぐずしてるし、暇があると、「グウグウ」と寝ているのでした。
桃太郎は、そもそも、生まれて来た時から、人とはちょっと違った生まれ方だったが、
少年時代も人と同じ行動を取らず、頭のなかは常に、別の意識、別の価値観で生きている
様子が伺える。
この「山に行って、しばを刈りに行く。」という行為は、普通の社会人が当然の事のように就くようになる、生きていく為の手段としての「一般的な社会の 仕事」を表わしているのではないだろうか?
友達がいくら誘っても、そんな仕事には、 目もくれずに、ひたすら、たった一人で、自分の立場を固執し続ける桃太郎は、一風、 変わった、孤独な変り者にも見える。
だが、時が来た時に、急に目覚めて「鬼退治」という、大きな仕事をするようになる 特殊な人間は、少年時代から、人とは全く違う、孤独な世界をさまよう宿命があるのだ
ろうか?
ここで、近所の子供が、「山へ行かないか?」と三度の誘いをかけて来る。その度に、 桃太郎は、何かと理由を作っては断わるのだが、始めには「縄をこしらえるからいやじ ゃ…」と言い。次には「わらじをこしらえるからいやじゃ…」と言う。そして
三度目に誘われても、「鎌を研ぐからいやじゃ…」と断わる。
この、(なわ、わらじ、
鎌)という三つの道具には、何か深い意味があるのだろうか?。
(なわ)は藁でできた紐で、物を束ねる役目をする。又、
(わらじ)は、足の下に敷かれながらも、険しい茨の道を歩く人の足を守る役割をする。そして、(カマ)は 稲を刈る 為の、刈り入れの道具である。
いずれも、稲が関係しており、田んぼの稲穂を人間に例えるならば、人間を束ね、支えとなって、道を歩く人間の足を守り、刈り入れの時が来たならば、鎌で刈り取り、良い稲と悪い稲を分け、良い稲は蔵に収め、悪い稲は炉の火に投げ
込まれる。
その、「裁き主の役割」をやがて、この少年は持つ、重要な存在になることを、意味してるのではないだろうか?。
やがて、立ちあがるべき時が来た時に、一気に驚異的な力を発揮するためにも、その日が来るまでは、敢えて、何もしないで、「グウグウ」と寝ていなければならない宿命がある のかも知れない。
だが、ただ寝ているだけではなく、横になって何かを考えている様子にも見える。この世のあくせくした生活の事に煩わされず、ただただ空想の世界に入って、夢や幻想を追う少年なのかも知れない。
お爺さんは、そんな桃太郎のことを心配して、「桃太郎や!、寝てばかりいないで、山へ行ってこいやー」
「ああー」
やっと、腰を上げて、近所の子供と、山へ出かけて行きました。ところが、山
へ行っても、木を切るでも、枝をはらうでもなく、すぐに昼寝を始めるのです。目をさましたのは、昼飯の時だけ。
やがて、夕方になって、「桃太郎、もう帰ろうか?」と、近所の子に言われると、「アアファー」と大きなあくびをして起き上がりました。「何も持って帰らないと、お婆さんに叱られるなー、どれ!」桃太郎は、そばにあった大きな木を、「ヌック、バリバリ!」と根っこごと引き抜いて、かついで戻りました。
この桃太郎は、普段は何もしない、ぐうたらな人間に見えるが、最後の最後で、とてつ
もない力を発揮する、典型的な、大器晩成型の人間のようだ。
決定的な時に、馬鹿力を出して、到底、普通の人が出来ないことを、一遍にかたづけ てしまうような、何をしでかすか判らない、底知れない少年だった。
お婆さんは、大木を担いできた桃太郎を見て、危なく腰を抜かすところでした。
「この木、どうする。軒下に置こうか?」桃太郎は、お婆さんに聞いた。
「軒下に置いたら、軒が壊れる!」「じゃあ、屋根に立てかけるか?。」「屋根に立てかけたら、
屋根が壊れる!」「じゃあ、畑に置こうか?」「畑に置いたら、畑が壊れる!」 「じゃあー、仕方ねえ!」
桃太郎は、大きな木を持ち上げると、下の川めがけて、「ポ ーン」と、投げ捨てました。しばらくして、「ドシーン!」と、音がして、それから、 「ゴーッ」と、山がうなり出しました。「な、なんていう力だ!」お婆さんは、たまげて口も利けません。
桃太郎の持って来た大木は大き過ぎて、お婆さんは、「そんなもの、どこにも置く場所がない」と言う。始めに「軒の下に置こうか?」と聞くが、「だめ!」 「屋根に立てかけようか?」 と言っても「だめ!」 「では畑に置こうか?」と言っても「だめ!」
折角 持って来た大木なのに、お婆さんにことごとく断わられて、仕方なく下の川に投げ捨ててしまった。その時、「ドシーン!」と、地響きがして、「ゴーッ!」と言う音が聞こえて来た。そして、お婆さんは、驚いて、口が利けなくなる。
この部分は、桃太郎の全体の話には、あまり意味の無い、どうでも良いエピソードの ようにも思えるが、実は、この短い話の中に、未来の日本に起こる
おそるべき預言が、暗示されていたのだ。
お婆さんにとって、いつも寝てばかりで、何もしないでいた桃太郎が、めずらしく山に登って持って来た大木は、あまりにも大き過ぎて、ありがた迷惑な物だった。家のそばに置くには、あまりにも目障りで邪魔だった。家の軒下、屋根、
畑、どこに置こうが、いまいましく思え、お婆さんにとっては、この大木は到底受け入れがたい、苛立たしいものであった。
お婆さんにとって、桃太郎のやる事なす事、ことごとく気に入らないのだ。置きどころを無くした桃太郎は、大木をとうとう川の下に捨ててしまう。その時「ドシーン!」 と地響きが聞こえて来る。それから、「ゴーー!」と、山が怨念のようにうなった。
この大木は、桃太郎自身の心を表わしてもいるのだろうか。この家の子供として育ったが、
次第に、桃太郎にとっては、この家は、心の落ち着く場所では無くなり、桃太郎が、身の 置き所が無くなる程、この家が拒絶感を抱いていることを示してはいないだろうか?。
この大木は、この家に平和をもたらす宝物となる為に、持って来られたはずなのに、 この家の住人には、その価値が判らずに、受け入れようとはしない。
仕方なく、大木は、川の下のほうに住む人々に、飛んで行ってしまった。
桃太郎によって、山から「根っこ」ごと引き抜かれてきた大木は、受け入れない人のもとから取り上げられて、川の下のほうに捨てざるを得なくなった。だがその時、天変地異を表わしてるような、
不吉な大きな地響き音が聞こえて来る。 これは、今の日本(あるいは家庭)に現実に起こっている現象を、あらわしているのかも知れない。
太平洋プレートの上にのっかっている 日本列島は、ここに来て、急に不安定な徴候を見せ始めて
いる。普賢岳の噴火、奥尻島の地震と津波、台風、洪水、山崩れ、など、かつて無い程 の、災害や天変地異が一度に押し寄せている。
その時、お婆さんにあたる存在が、この大木を受け入れようとしない時、大きな地震
のような艱難が起きる可能性が有る。あまりの力を見せられて驚き、口を噤んでしまう現象が起きる。 このお婆さんの存在は、本来もっとも桃太郎に近い、恵まれた位置にある人を指している。
桃太郎はそれからも、相変わらず食べては眠り、眠っては食べているばかりでした。
ところが、ある日「カッシリ!」と目を開けて桃太郎が言いました。
「お婆さん、おい
らに、きび団子をこしらえてくれ!」お婆さんは驚いて、「何、きび団子?、そんなもの、何する?」「おいら、きび団子持って
鬼が島)へ行って、鬼を退治して来るんだ!鬼は、人間から、米を奪ったり、宝物を盗んだりする悪い奴だからな」 お爺さんは、「それはいい。おまえの力なら、きっと退治できるとも!」とそう言って、桃太郎の背中に付ける、{日本一の旗}を書いてあげました。
そこでお婆さんも、 納得したのか、桃太郎のために、力のつく大きなきび団子を三つ作ってやりました。「お 爺さん、お婆さん、では、行って来ます。」「気をつけて行っておいで」「一つ食べたら、百人力のきび団子を持って、さあ、出発だ!」 桃太郎は、きび団子の包みを腰に着けて、元気よく出かけていきました。
長い眠りから、突然、目覚めた桃太郎は、何か急に、自分の使命をはっきりとみいだして、急いで決意し行動を起こして行く。この大事な仕事を果たす為に、桃太郎は急いで、お婆さんに「きび団子をこしらえてくれ!。」と言う。
お婆さんは、きび団子を始めは何に使うのか判らず、いぶかっていたが、お爺さんのほうは、桃太郎の、やろうとしている仕事がどんなものか?を察した。
彼の生い立ちを思い出して、彼の尋常でない使命 を理解した。 そして、お爺さんの言葉と行動に動かされて、ついにお婆さんも、仕方なく桃太郎の
ために、力のつく大きなきび団子を三つ作ってやった。
このきび団子は、一体何を表わしてるのだろうか?。
ようやく、お婆さんも、「桃太郎の使命」を理解したのか、特別、大きなきび団子を
こしらえて持たせるのだ。このきび団子は、鬼を退治するのに、絶対に欠かせない、重要な何かの条件を表わしている。
この、きび団子の意味については、{小説}「ポチよ、泣かないで!」の後編」か、{長編小説}「光の道を備えよ!」 (解明編)の、どちらかを読んでいただくと推理できますが、つづきの後編にて詳しく解説します。 桃太郎の正体と鬼退治に協力する三匹の動物の正体を後編で明らかにします。 請う!ご期待…
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